2015年12月15日火曜日

中国江南・上海紀行(10)上海市内続き

平成26年12月30日(火)上海市内続き

さて中国江南・上海紀行もいよいよ最終日。
比較的すいていた朝食会場でゆっくり食後のコーヒーを飲んでから私たちは魯迅公園に向かった。




魯迅公園に入って驚いたのは、太極拳で体を動かしたり、スピーカーから出てくる大音響の音楽に合わせて踊っている中高年の人たちの多さ。


街中の公園などで大勢で集まって踊ったりすることを中国では「広場舞」というそうだ。
それにしても朝からこの活気はすごい。
こういうところにも中国のパワーを感じたが、今年3月に近隣住民とのトラブルが絶えない、といった記事を見かけた(平成27年3月17日 朝日新聞朝刊)。
その記事によると、毎晩のように音響機器を持ち込んで中高年の女性たちが踊りまくっているとのことである。確かにこれだけの音量で夜に騒がれたら、近所の人たちはたまらないであろう。

広場舞に来る人たちは、太極拳や踊りを指導する先生を中心としたグループになっていて、先生は自分の名前を刺繍した旗をこうやって並木に立てかけたりしている。


魯迅公園の中にある魯迅記念館。


館内はもちろん魯迅一色。ガラス越しにも魯迅先生の顔が浮かんでる。


(魯迅については、年末に魯迅の故郷:紹興に行くので、あらためて詳しく紹介します。)


昼食は上海の中華街「豫園商城」。


さすがに本場中国、それに大都市上海の中華街だけあって、規模は大きく、建物も昔風に整備されていて、清代の中国にまぎれ込んだような気分だ。






昼食も好吃!(おいしい)


続いて、ヨーロッパ風の街並みを再現した「新天地」。
隅から隅まで本当によくできている。気分はすっかりヨーロッパ。
もし上海にフリーで滞在していたら、週末ごとにふらりと寄りたくなるような街だ。


メインストリートから少し横に視線を移すと、まるでイタリアの小さな街の路地裏のよう。
ランチタイムのあわただしい時間帯が過ぎて携帯の画面を見ながら一休みしているイタリア人のコックさんも絵になっている。


狭い路地に二人掛けのテーブルと椅子を並べるところなんてイタリアでよく見た光景。


さらに新天地の中をふらふら歩いていると、白と青のひし形を組み合わせ旗が。
あれ、これはミュンヘンに行ったときによく見かけたバイエルンの旗ではないか。
それにこのレストランの名前をよく見てみると、ミュンヘンの地ビール「パウラーナー」!
疲れた足を休めてドイツビールで喉の渇きを癒しに来たくなってしまう。


店の前に椅子とテーブルを出したり、軒先にメニュー表を貼りだしているのもドイツ流。



次は、中国の首相を長く務めた周恩来が1946~47年に国民党政府と会談を行った周公館。
建物の中は撮影禁止だが、当時の執務室、寝室が保存されている。

ここにはかつて中国共産党駐上海代表処だったところなので、道路を隔てた反対側の家には国民党のスパイが潜んでいて、人の出入りを監視していたそうだ。

庭園内の周恩来の像


ここで観光を終えた私たち一行は、バスで上海浦東国際空港に向かった。
わずか4日間の短い旅だったが、メインの上海博物館だけでなく、水郷古鎮の落ち着いたたたずまい、街の中に広がるかつての貴族たちが造園した庭園、新天地に代表される活気のある街並み、などなどとても内容の濃い旅行だった。

中国は近い、でもやはり日本とは違う外国。

今回、久しぶりに中国に来て、あらためてそう思った。

(「中国江南・上海紀行」終わり)


3月から始めたこの連載もどうにか今年中に終えることができました。
月1回ペースの更新でしたので、気長にお付き合いいただいた読者のみなさまに感謝します。

この連載の最後にもふれましたが、中国は、日本に近くて、似ているようで、実は違う外国、というのをあらためて感じました。
このブログを通じて、こういった中国を旅行する楽しさを少しでもみなさまにお伝えできれば幸いです。

今回の旅行記を連載している間にも、7月には台北、9月には北京、それぞれの故宮博物院に行き、年末には再び中国江南地方に行く予定で、このブログでのアップが追い付かない状態になってしまいました。
来年からも中国旅行記を順次アップしていきますので、引き続きご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
それではみなさま、少し早いですが、よいお年を。




2015年12月13日日曜日

中国江南・上海紀行(9)上海市内

平成26年12月29日(月)上海市内

上海博物館のあとは租界時代の欧風建築が並ぶ外灘(ワイタン)地区へ。


すでに夕闇が迫り、建物にはきれいな電飾が灯り始めていた。


対岸の高層ビル群も夕陽を浴びて輝いている。

遠くにはフェリーも泊まっている。
大阪と上海を2日で結ぶ上海フェリー株式会社の「蘇州號」だろうか。
一度は日本からフェリーで中国に来てみたいと思う。

こうやって港の風に吹かれながら黄浦江沿いを歩いていると、地元横浜のみなとみらい地区を散歩しているようでとても心地よくなってくるが、まさかこの2日後に年越しのカウントダウンに集まった市民たちが将棋倒しで犠牲になるという事故が起こるとは夢にも思わなかった。
せっかく新年を祝いに来たのにこんなことになるなんて、今こうやって写真を見返してみても心が痛む。

夕食は「大富豪」というゴージャスな名前のお店。
この付近は飲食店街で、街じゅうに人と車があふれて賑やか。
 

お店の名前とは対照的に、料理はとても庶民的で、いつも食べ慣れている味なのでほっとする。
オプションの上海蟹は注文しないで野菜を中心に食べた。



宿泊したホテルは郊外にある「上海江蘇飯店」。
ロビーにはクリスマスの飾りがまだ残っていてとても華やいだ雰囲気。

(次回に続く)

2015年11月28日土曜日

中国江南・上海紀行(8)上海博物館続き

平成26年12月29日(月)上海博物館続き

明代(1368-1644年)のコーナーに移って最初に目についたのが、雪舟が明に渡った時の師であった宮廷画家・李在(りざい ?~1431年)の「琴高乗鯉図軸」。
これも東京国立博物館の上海博物館展で見た作品なので、とても懐かしい。
(ちょうど空を飛んでいる鯉のところに照明が入ってしまい、見づらくてすみません。)


続いて呉偉(ごい 1459-1508年)「松萌小憩図軸」(左)、辺景昭(へんけいしょう 生没年は不明だが説明書きには永楽年間(1403-1424年)に武英殿に招かれた、とある)「春禽花木図軸」(右)、


そして、呂紀(りょき 1477-?年)「双雉図軸」、と主に宮廷で活躍した画家たちの作品が並ぶ。

次に出てくるのが、呉派文人画の代表格、沈周(しんしゅう 1427-1509年)「倣大痴山水図軸」。



沈周の弟子で、やはり呉派を代表する文徴明(ぶんちょうめい 1470-1559年)の作品は見当たらなかったが、文徴明に習った銭穀(せんこく 1508-?年)「停舟閑眺図軸」も素晴らしい。
説明書きには「この作品は1578年、71歳の時に制作された」とある。

さらに明末に活躍した菫其昌(とうきしょう 1555-1636年)「嵐影川光図巻」。

趙左(ちょうさ 生没年不明)「山郷雲覆図軸」。説明書きには「この作品は1619年に製作された」とあるので、まさに明末ぎりぎりの作品。


清代(1616(北京に遷都したのは1644)-1912年)に入ると、山の形はいきなりこうなる。
梅清(ばいせい 1623-1697年)「敬亭霽色図軸」。


一方で、今までの中国絵画とは少しタッチの違うほのぼの系もある。
呉慶雲(ごけいうん ?-1910年)「渓山夕照図軸」。
このような穏やかな作品が、列強に攻められて混乱していた清の末期に描かれたのだから驚きだ。

1時間という限られた時間で、とてもじっくり作品を見る時間はなかったが、こうやって駆け足でも唐から清までの中国絵画の歴史を勉強することができるのだから、やっぱり上海博物館はすごい。
「もう一度、いや、展示替えもあるので何回も来なくては」と心に決めて上海博物館を後にした。
(次回に続く)



2015年10月25日日曜日

中国江南・上海紀行(7)上海博物館

平成26年12月29日(月)上海博物館

渋滞で到着が遅くなったら上海博物館での自由時間が削られるのでは、と心配していたが、バスは順調に上海市内に入っていった。

ようやくたどり着いた上海博物館の正門


もとはといえば、東京国立博物館の東洋館リニューアル記念で開催された特別展「上海博物館~中国絵画の至宝」(平成25年10月1日~11月24日)を見に行って上海博物館の中国絵画のコレクションの豊富さに驚いて、もっともっと中国絵画を見たいというのが上海行きを思い立ったきっかけだった。

喜び勇んで館内に入ったが、与えられた時間はわずか60分。
とても全部を見ている時間はないので、中国絵画のコーナーだけに絞ることにした。
それでも唐から南宋、元、明と続いて清までの水墨画がずらりと並んでいるのだから、時間は全く足りなかった。

ありがたいことに、上海博物館は館内撮影が許可されている。
これはと思う作品の写真を撮ろうと思ったが、どれも素晴らしくて、どの作品も写真を撮りたくなって困ってしまうくらいだった。

「中国歴代絵画館」と表示されていた部屋に入るとすぐ右手には唐代の絵画が一点展示されていた。
かなり黒ずんでいたので写真に撮っても厳しいかなと思い、アップで写真は撮らなかったが、唐代の絵が残っているというのはすごい。



正面の展示に目を転じると、これは五代時期(907年の唐滅亡から979年の宋の全国統一までの時代)の絵巻。董源(とうげん ?~962年)の「夏山図巻」。

董源「夏山図巻」

説明書きに、「董源は南方山水画派の祖」とあるとおり、董源は後世の山水画に大きな影響を及ぼした。
(説明書きは中国語表記ですが、便宜上、日本語表記に変換しています。以下同じです)

よく見ると湖上に浮かぶ舟と人。こういう優雅さが山水画の魅力。

次は南宋時代の画帳。
どれもいい絵ばかりで、ミニチュアでもいいからこういった画帳がほしくなってしまう。









元代に入ってすぐに展示されているのは趙孟頫(ちょうもうふ 1254-1322)。


これはなつかしい!
東博で見た元末四大家の一人、倪瓚(げいさん 1301-74)の「漁荘秋霽図軸」。

こちらは同じく元末四大家の一人、呉鎮(1280-1354)の「漁夫図巻」。

遠くで見るとよくわからないが、アップにしてみると真剣ながらどことなくユーモラスな漁師さんたちの表情がよく見えてくる。



(ちなみに元末四大家のあと二人は、黄公望(こうこうぼう 1269-1354)と王蒙(おうもう 1308-85)です。)

元までじっくり見ていたらだいぶ時間が経ってしまった。
まだ明と清の絵画が残っている。急がなくては。
(次回に続く)