2012年7月9日月曜日

沖縄戦跡紀行(1)

去年の10月、以前から企画を温めていた「沖縄の戦跡をめぐる旅」に行ってきました。
沖縄というと、冬の寒さから脱け出して、温暖な気候の中、心ゆくまで「ゆるんで」くる旅が多く、これではいつまでたっても行けないと思い、「沖縄戦をしっかり振り返らなくては」と心を引き締め、去年の10月28日(金)から29日(土)の2日間、沖縄戦跡めぐりをすることにしました。
アップするのが遅くなってしまいましたが、今日から何回かに分けて「沖縄戦跡紀行」を紹介していきます。途中、いままでの沖縄旅行を回想したりして、回り道することもあるでしょうが、しばしの間おつきあいください。

平成23年10月28日(金)
2日間という限られた日数なので、できるだけ時間を有効に使おうと思い、羽田空港を朝7時45分に出発するANA125便で那覇に向かった。
5時に起きて、顔を洗って着替えただけで家を出てきので、朝食はまだだった。そこで、チェックインを終えると、サンドイッチとコーヒー、デザート代わりの菓子パンを買い、搭乗口近くのベンチに腰かけ、滑走路を眺めながら軽めの朝食をとった。
戦跡めぐりとはいえ、沖縄に行けるというだけで心が軽くなり、すでに気分は南国。いつの間にかゆったりした気分になるから不思議だ。


那覇空港には予定どおり10時15分に到着。
空港ではまず「沖縄観光コンベンションビュロー」の案内窓口に立ち寄り、バスマップを入手。
自動車の運転免許は持っているが、まったくのペーパードライバーなので、頼るのはバスしかない。バスマップは強い味方。


初日は、バスを乗り継いで、日本陸軍第32軍司令官 牛島中将ほか幕僚が自決した摩文仁の司令部壕まで行き、日本軍の砲弾に倒れた米陸軍第10軍司令官 サイモン・バックナー中将の慰霊碑に寄って那覇に戻ることにした。
そして2日目は、帰りの便の心配もあるので、ゆいレール沿線や那覇の中心部に近い、嘉数高地、シュガーローフヒルなどの激戦地、第32軍司令部壕のあった首里城周辺、「沖縄県民斯ク戦エリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」で終わる有名な電文を送ったあと自決した海軍沖縄方面根拠地隊司令官 大田実少将が立てこもった海軍壕に行くつもりだ。

那覇空港からゆいレールに乗り、小禄駅で下車し、そこから沖縄バス89番に乗って糸満に向かった。
まずは、漁師の町・糸満で昼食に海の幸を食べて、胃袋から南国気分にひたろうという魂胆だ。
下車したバス停は、糸満市場前。
すぐ前の漁港の岸壁まで出て海の香りを胸いっぱい吸い込んでからバス停にもどり、あたりを見渡すと「糸満市中央市場」の看板が目に入った。お昼には少し早かったが、おなかもすいてきたので、お昼を食べる食堂をさがすことにした。



これが公設市場のアーケードの中。


アーケードの中に入ると「ゆう」という大きな看板が目についた。
この看板をくぐり奥に入ると、カウンター下に定食の短冊がかかっていた。
メニューの中から迷わず選んだのが「魚汁定食」800円。


出てきたのがこれ。
とれたての魚にみそ味がよくしみ込んでいて、身も柔らかく食べやすい。



10月とはいえ、外の気温はゆうに30℃を越えている。汗をかきつつ、アイスコーヒーの氷が溶けないか心配しながら、料理を全部平らげ、まずは満足。
乗り継ぎのバスが出るまでまだ時間があったので、食後は周囲をふらふら歩いてみた。
これは「ビストロ ゆう」の向かいの建物にあるトイレから出たところ。


これが中庭。

こういう景色を見ていると、「南の島のリゾートに来たんだなあ」とあらためて実感する。
パスポートも必要ないし、日本語も通じるし、あえて海外に行く必要はないと思う。
南国のけだるい午後のひととき。店の奥でおじさんが弾いている三線の音を聴いていると、さらにゆったりとした気分になってくる。



そういえば、向かいの建物の壁には「糸満市公設市場改造イメージ図」と書かれた看板が掲げられていた。
平成元年3月とあるので、バブルの時期に計画され、バブルの崩壊ともに消え去ったものなのだろう。たまに訪れる旅行者の勝手と思わるかもしれないが、今となっては、古き良き糸満の雰囲気が消えてしまうこの計画が実現しなくてよかったと思う。




まだ時間があったので、糸満バスターミナルまで5分ほど歩き、那覇空港に降り立つジェット機を眺めながら、午後1時に出発する玉泉洞行きの琉球バス82番を待つことにした。
これから向かうのは米軍の猛攻に追い詰められた日本軍が最後の抵抗を試みた南部の戦跡。
ゆるんでばかりはいられない。

<Y>
(次回に続く)