2017年9月30日土曜日

中国西安紀行(1)西安市内→兵馬俑

もう一年以上も前のことになりますが、昨年の7月、かつて唐の都として栄えた長安、今の西安に行ってきました。
真夏だったので何しろ蒸し暑くて、人が多くて街も活気があって、それにイスラム教徒の商店街があってシルクロードの始点であることを実感したり、もちろん郊外にある兵馬俑に行ってそのスケールの大きさに驚いたり、わずか4日、前後に移動日があったので実質2日の旅としては信じられないくらい内容がぎっしりつまった旅行でした。

そこで今月から何回かに分けて、中国・西安の旅を紹介したいと思います。

平成26年8月10日(水) 成田空港→西安

私たち一行は、成田空港から中国・海南航空HU7928便に乗り、約5時間半かけて西安咸陽国際空港に降り立った。
空港に着いたのは現地時刻で夜の7時前。空港からバスに乗って市街地に入ると、あたりはすっかり暗くなり、帰宅を急ぐ人や車の往来も多く、街の中心にある鐘楼もライトアップされて、とても賑やかな雰囲気。

西安市街の中心にある鐘楼
ホテルに着いたのは8時過ぎ。
近くのコンビニでつまみとビールを買って部屋の中で軽く夕食をとって、翌日に備えてこの日は早めに休むことにした。

なぜか青島ビール

平成26年8月11日(木)

朝食を食べた後、出発まで少し時間があったので、ホテルからそれほど遠くない東門まで朝の散歩。

東門近くの広場ではやっぱりやっていた!「広場舞」。


これが東門(長楽門)。
門といってもものすごく巨大なビルのよう。


門の両側には城壁がつながっていて、下の写真の右端の楼閣のような見張塔が等間隔で並んでいる。


朝の散歩のあとはいよいよ兵馬俑。

西安市内からバスで約1時間。秦始皇帝兵馬俑博物院に到着すると、入口の前で巨大な始皇帝の像がお出迎え。


最初に入ったのが1号坑。
大きな体育館のような屋根の下、ずらりと並んだ兵馬俑。
実際にまのあたりにするとものすごい迫力。スケールの大きさに圧倒される。





続いて、兵馬俑の作戦本部と考えられている3号坑。
着ている軍服から見て司令官級の人たちが並んでいる。


こちらは四頭立ての指揮車。



資料館(陳列庁)では復元された兵馬俑を間近に見ることができる。
こちらは片膝を立てて弩弓を構える姿勢の「跪射俑」。
東京国立博物館の特別展「始皇帝と大兵馬俑」にも「跪射俑」は来ていたが、同じ人(?)だろうか?


写真ではわかりにくいが、近くで見ると、髪の毛一本一本まで細かく表現されているのがわかる。


特別展「始皇帝と大兵馬俑」は2015年10月27日から2016年2月21日まで東京国立博物館で開催された。
これは記念撮影コーナーに展示されていた兵馬俑のレプリカ。


本物に戻って、こちらは馬を従える「鞍馬騎兵俑」。


兵馬俑の迫力に圧倒されたあとは、秦始皇帝兵馬俑博物院に隣接する秦始皇帝陵遺址公園へ。緑が多く、遊歩道もある。石の案内板の後ろの小高い山が始皇帝の陵墓。

(次回に続く)



2017年8月12日土曜日

中国江南紀行2015(9)杭州

平成27年12月29日(火)午後 杭州

紹興市内で昼食をとったあと、私たちは再びバスで杭州に向かった。
途中の高速道路は順調だったが、杭州市街地に入り一般道に降りると渋滞がひどくなり、バスは思うように先に進まなくなった。
翌年(平成28年)9月のG20開催に向けて、街のあちこちで新しいビルや道路が建設中で、まるで街全体が工事現場のよう。大きな鉄管を積んだトレーラーや、土砂を満載したダンプカーなどの工事用車両がひっきりなしに行きかい、渋滞に拍車をかけていた。

冬の日が暮れるのは早い。これから西湖、六和塔を観光するのに、日が暮れてしまったら景色が見えなくなってしまう。

時計は3時を回った。
西湖まであと少し。気が焦るばかりだが、バスは渋滞の中、のろのろと進んでいく。

西湖近くでは観光地渋滞に巻き込まれた。
目の前で足踏みをして、ようやく西湖についたのが、4時近く。
もうすぐ日が沈んでしまう。

バスを降り、北宋の詩人、蘇東坡が杭州知事として赴任していたときに築いた蘇堤にある船着場から小さな遊覧船に乗り、西湖を周遊した。

雷峰山山頂に立つ雷峰塔と湖に浮かぶ舟。まるで中国山水画の世界。
雷峰塔は975年に創建されたが1924年に倒壊し、現在の塔は2002年に再建された。
塔は新しくても、とてもいい雰囲気を出している。


こちらは高層ビル群を背景に湖に浮かぶ遊覧船。
いかにも現代的な景色。


私たちが乗ったのと同じタイプの遊覧船。

紹興から西湖までの道のりは長かったが、かえってそれがよかった。
おかげで夕陽に映える西湖を見ることができた。




年が明けた平成28年。西湖の景色を描いた二つの日本画に偶然めぐり会える機会があった。
一つは、杭州から帰国して2週間後の1月9日、京の冬の旅で特別公開されていた京都・真如寺で見た江戸時代後期の絵師、原在中の襖絵「西湖図」。
もう一つが、5月に出光美術館「美の祝典Ⅱ」に展示されていた、狩野派の基礎を築いた室町時代の絵師、狩野元信の「西湖図屏風」。

西湖は室町時代や江戸時代の絵師たちにとってあこがれの地であった。
当時の絵師たちは現地を見ることはできず、想像で描いたのだが、それでも実際に西湖に行ったときのことを思い出させてくれるとても素晴らしい作品だった。

次に私たち一行は六和塔に向かった。
もうすぐ5時。あたりはだいぶ暗くなってきた。
六和塔は北宋時代の970年に創建されたが、その後の兵乱で破壊され、南宋時代の1156年に再建された。

六和塔

一番上まで行くにはらせん状の階段を延々と昇らなくてはならないので、かなりの重労働。

それでも、壁にところどころ鮮やかに残っている再建当時の壁画が目を楽しませてくれる。

一番上まで昇り外を見ると、あたりはまだ明るさが残っていて、銭塘江の暮れなごむ夕景が目の前に広がっていた。

この日の観光を終え、六和塔近くのレストランで夕食。
とても充実した中国江南地方の旅を終えて満足した気分に浸りながら西湖ビールで乾杯!


平成27年12月30日(水)杭州

この日はホテルから空港に直行して帰国するだけ。

空港に着き、何かお土産を買おうかなと思いながら空港内の売店コーナーを歩いていると、さすが龍井(ロンジン)茶で有名な杭州だけあってお茶を売る店があって、きき茶のコーナーもあった。


お店の女性はお茶の入れ方を説明しながらお茶を入れていく。
こちらはその手際の良さに感心しながら、入れたての龍井茶をいただく。
いつもはあわただしい空港でこんなにくつろいだ気分になれるとは思わなかった。

このお店には龍井茶のミニチュア缶(高さ6cmぐらい)があったので、お土産にいくつか購入した。


気候温暖、風光明媚、古来から作物が豊かに実り、交易で経済も発展し、文化の華が開いた江南地方。
冬でも暖かな陽気がとても心地よい。
近いうちにまた年末にふらりと訪れてみたい、と思いながら帰国の飛行機に乗り込んだ。

(「中国江南紀行2015」おわり)

【次回予告】
 次回からは昨年8月に行ってきた唐の都・西安、秦の始皇帝の兵馬俑の様子を紹介します。ご期待ください。

2017年7月23日日曜日

中国江南紀行2015(8)紹興

平成27年12月29日(火)午前 紹興

前日はバスで3時間かけて上海から杭州に移動して市内のホテルに宿泊した。
この日の午前は杭州から紹興に向かい市内観光。

紹興は魯迅の生まれ故郷。魯迅が生まれた家やその周辺は「魯迅故里」というエリアで、昔ながらの風情が保存されている。

魯迅先生がお出迎え


メインの通り。土産物店も並んでいる。


 メインの通りを少し歩くと右手には魯迅の生家「魯迅故居」がある。
魯迅故居の入口

お客さんをお出迎えする部屋

中はとても広くて迷路のようになっているので
迷ってしまいそう。

この先は何があるのだろうと、つい誘われる廊下。
迷ってしまうのも楽しくなってくる。

屋敷内をさまよっていると、昔ながらの調度品が整った部屋に出くわす。
紹興も運河沿いの水郷古鎮。
メインの通りから一歩入ると運河がゆったりと流れている。


運河沿いの屋台で売っているのは紹興名物「臭豆腐」。

臭豆腐は、発酵した豆腐を揚げたもの。
その名の通り臭い!、でも美味しい!
ビールに合いそう。

魯迅故居の斜め向かいにあるのが清末に紹興で開かれた私塾「三味書屋」。
若いころ魯迅が学んだ当時の雰囲気がそのまま保存されている。




外に出ると「孔乙己(コンイーチー)」という土産物店の看板が目に入った。
魯迅の小説「孔乙己」は、科挙に合格しそこねて落ちぶれた孔乙己がやってくる酒場でのやりとりを、そこで働く小僧の目から見た短編小説。


孔乙己がつまみにしている茴香(ういきょう)豆を子どもたちに一粒ずつあげる場面が店の前に再現されていた。

さて、紹興といえば紹興酒。
もちろん紹興酒工場に行って本場の味を味わってきた。

(次回に続く)

2017年6月28日水曜日

中国江南紀行2015(7)魯迅紀念館

平成27年12月28日(月)魯迅紀念館

この日の最初の観光は魯迅紀念館。
広場舞で賑やかな魯迅公園を通り抜けて行くと白い壁の建物が見えてくる。


館内に入ってすぐのロビーではたばこを吸いながらくつろいでいる魯迅先生がお出迎え。

2階の展示室に入ってすぐに目につくのが、魯迅の代表作「阿Q正伝」のジオラマ。


この小説の舞台となったのは、清朝が滅びて中華民国が成立する辛亥革命(1911年)の前後の中国江南地方・紹興近くの小さな村。
日傭いの仕事をしていた阿Qは、虫けらのように村の有力者たちや村人たちに殴られ、虐げられていた。そんな日々の続いたある日、阿Qの住んでいる村にも革命党が来るとのうわさが広がり、阿Qはこれで自分の時代がやって来ると思い上機嫌になった。
しかし、それもつかの間、阿Qは村の有力者と結託した革命党によって盗賊の濡れ衣を着せられ、あえなく処刑されてしまう。
殴られる阿Q
うれしくなって「謀反だ、謀反だ」と叫ぶ阿Q


処刑前に市中引回しされる阿Q
魯迅はこの作品で当時の中国人の奴隷根性を描いたとされているが、身に覚えのない罪で有罪となり処刑される物語といえば、フランツ・カフカの「審判」を思い浮かべる。
どちらも悲劇的な結末を迎える阿Qと「審判」の主人公、ヨーゼフ・K。
ほぼ同時代に生きた魯迅(1881-1936)とカフカ(1883-1924)は、お互いの影響を受けることはなかったが、両者ともこれから訪れる不穏な世の中を敏感に感じとっていたのだろうか。

こちらは上海で若い芸術家たちと語る魯迅の蝋人形。

上海にあって、魯迅を庇護した内山書店の再現もある。


魯迅が上海に移り住んだ時代の上海の写真も展示されている。
1927年、魯迅が上海に来た当時の外灘

1932年、上海事変で破壊された市街地
世界中で翻訳された魯迅の作品がずらり。


文豪広場に立つ、威風堂々としたゲーテ像。

このあと私たち一行は、豫園商場で昼食を食べてから、バスで杭州に向かった。
豫園商場
(次回に続く)